2011年12月28日水曜日

空っぽ

ほら  

その 黒い腕で

私の胸を えぐってみて

何もないでしょう 

すう すう と  

風が ふいてる

2011年12月27日火曜日

視線

いくつもの目が まわりを取り巻く

額が 胸が 腕が 

背中が、、、痛い

見られている

2011年12月26日月曜日

バスの窓から

はだかになった 木々の間から

白い雲は 綿菓子のように

ちぎれ ちぎれて

おおきく ちいさく

わたしの心は

うれしいのか

悲しいのか

信州

風越山は すっぽりと雪雲のなか

白と黒の世界

里も うっすらと雪をまとい

誰の口からも

「今夜は 凍りそうだに」と

タクシーだけが忙しそうに 客を乗せては出て行く

粉雪が 頬と唇に 痛い


伊賀良バスセンターにて

2011年12月8日木曜日

君は君でいたいのに

もう泣かなくても いいよ

苦手なら それでいいよ

周りに とらわれ過ぎてたのは

きっと 僕のほうだね

愛する人よ 僕はただ 君を 理解できないでいたよ

僕が 期待するほどに 君は 笑顔をなくすから


何度か君と 話し合った

たがいに わかりあえたと 思っていた

君はおしつけに 僕の声を 聞いていただけ? 

過ちはただせと 言った

なぜ僕は 君の心をよそに いけないことだと決めつけたのか

君は君でいたいのに


君が描いた らくがきノート

君の背中には 翼があって 

楽しそうに 風にくるまって わらっていた

愛する人よ 僕はただ 君を 理解しようとしすぎていた

君が君でいることが 僕の さだめだとも 知らずに


もう泣かなくても いいよ

苦手なら それでいいよ

周りに とらわれ過ぎてたのは  

いつも 僕のほうだね

君は君でいたいのに


徳永 英明 、歌

2011年12月6日火曜日

まつぼっくり

病院から メディカルセンターの横を通り 薬局に向かう

四時半 陽は暮れ 冷気が ぐんと 強まる

同じ葉の色が 二つとない楓や あかい紅葉や 

半分 散りかけた欅のあいだに 半月が のぞく

なんとなく ウキウキして歩いていると

渋いレンガの 歩道のうえに 松葉がたくさん つもっている

ふと 脇を見ると まつぼっくりが ころんころんと 転がって、、、、、

ひとつ とりあげてみる

カサカサして かわいいな

そこが 松見公園という 名であるのを 

あとで ゆっくり思いだした

2011年12月1日木曜日

黒い手帳

大学病院前の 歩道を 歩いていると

まえを歩いていた 男の人が ふと たちどまり

なにか 拾い上げた

くろい手帳に はさんだのは

まっかに 紅葉した 一枚の もみじ だった

その人の まるい背中を

わたしは 少しだけ みつめた


「黒皮の手帳」って 松本清張 だったかしら?

ふと あたまを よぎった

2011年11月26日土曜日

くろ

ぽっかりと 大きく あながあいている

暗く 暗く  深く 深い

その おくのおく

ひっそりと 眠っている

永遠に 光の 

まぶしさを 知らない

あたたかさを 知らない

2011年11月11日金曜日

くろい朝

瞼をあけても まっくろい朝は

もう一度 瞼を閉じよう。 

30分だけ、、、

そして 信じるのだ

こんどこそ 

光に満ちていることを。

2011年11月8日火曜日

こころのひだ

こころの襞は 幾重にも 折りたたまれて

ひとつひとつ 別の 顔をもつ

うそつき、、、それとも 思い込み、、、

いいえ みんな ほんとう

誰にも ひらけない 襞も あるけれど

2011年10月30日日曜日

手術室にて

車椅子を押されて 4Fの自動ドアを何度か通り過ぎると 特殊な消毒臭が鼻をつく

もう 慣らされてしまった臭い。

1から12と大きく記されたステンレスのドア、その前にはその日手術を受ける人を乗せた

ストレッチャーが列をつくっている。

1の手術室に入ると、踏み台から手術台に乗るように指示を受ける。

手術台は わりとせまくて高さがある、手を借りながらゆっくりと 無影燈の下に体を預ける。

病衣がつっぱらないよう少し上にたぐり寄せ ドーナツ状の枕の中心に頭をのせる

でないと 後になって首や肩が痛くなるのだ、

そんなことまで 覚えてしまった。

落ちないように 足をベルトで固定されると、 

右側に青衣の麻酔科のドクター、左側に神経科のドクターが立つ。

麻酔科のドクターが 私の右手の甲に点滴の針をうつと、

酸素マスクが鼻にあてられる。

「では はじめます」

の声に 右手の点滴のチューブから冷たい全身麻酔の液体が 入っていくのがわかる。

5秒ほどで 目の前が真っ白になり 周りの人や物音一切が遠くなり、

意識が なくなる。


怖さは なかった。

それどころか 当時の私はその瞬間を待ち望んださえいた、

その時だけが 安らぎを覚える時だった。



100回をこえたこの治療は もう必要ないほど 私は回復した。

病気で苦しんで来た間に 失ってきたものばかり数えてしまうが、

夫と子供たちは ずっと私に寄り添いささえ続けてくれたのだろう

私が 自暴自棄になってばかなことをしても 決して責めたりはしなかった。


此の頃になって 愚かにもやっとそんなことを考えられるようになった私だが、

どう気持ちを表したらいいか 困ってしまう。

病気のせいか、治療のせいか 以前の記憶のほとんどをなくしてしまった。

心の奥底に 澱のように沈んでいる記憶が 少しずつ戻ってくるのを

もうすこし 待っていて ください。


パパ、春菜、青子、王彦、  ありがとう

2011年10月29日土曜日

おふくろの味

夫が田舎に帰って 親戚の家から しまうりの糟漬けをいただいてきた

信州の人は 漬物をつけるのが上手だ。

きっと それぞれの家に それぞれの味があるのだろう

しまうりの種をとるのに 十円玉を使ってこそぎとるのも面白い。

とても 美味しかった。

でも 私が親しんできた味とは ちょっと違った

もう少し甘くって もう少し糟の味がつよい。


義母がよく作ってくれた 糟漬けの味だ

義母は 今年93才になった。月の20日間をショートステイに入り、残り10日を 川崎の義兄と

夫が 介護に通っている

今 一番の楽しみは 息子たちの顔を見ることなのだろう。

糟漬けも 五平餅も もう一人では作れないと思う。

おふくろの味を しっかり受け継いでおかなければ、、、ふと

そう 思った。


ついでに言えば 私の母は 義母と一回り違いの81才

父は 早くになくなったが 俳句を趣味に 元気でいてくれる。

何かあるたびに お赤飯か 巨大なお稲荷さんを届けてくれるのだが

私の 好物だと信じて疑わない。

しいて言えば それが母の「おふくろの味」だろうか?

2011年10月27日木曜日

畑の住人

今日は 上下ジャージ 長靴に軍手 麦藁帽子

王彦と 畑の薪運びだ

我が家は 冬の間 アトリエの二箇所で 薪ストーブを焚く

その暖かさと 心地よさは エアコン等の比ではない

一冬分の薪ときたら 此の頃流行の薪ストーブ屋さんに積んであるような代物でなく

材木屋さんから トラックで買い付けてくる

幅五十センチ 長さは百八十センチ位の材木だ

全部松材 灰は 陶芸用に使う

その松材を 夫が全部チエーンソーで切って 薪にする

さて 今日の仕事は 去年の乾燥させた材木を移動し 今年買う薪の置き場所をつくること

王彦と一緒に 一枚一枚材木を動かすと

出てくる 出てくる、、、、

蜂やら ムカデ 蟻の巣 カマキリの子ども ミミズ かたつむりの赤ちゃんに クワガタの幼虫

いつの間にか 虫たちの団地になっていたんだ

二人で ウワウワ驚きながら

無事 作業を終わった

疲れたー でもきれいになって 気持ちいい!

2011年10月24日月曜日

追いかけて

追いかける

はぐれても 置いてきぼりにされても

追いかける

見えない 明日を

追いかける

2011年10月23日日曜日

生きていない

陸に 打ち上げられた 魚のように

尾ひれを だらりとたれて 横たわっている

目は 白く濁り ピクリともしない


もっと 力が ほしいのです

2011年10月5日水曜日

オンナのたたかい(風邪かしら?編)

「お母さん ゆいに行く仕度しておくね」

「えっ?私行くの?そんなの聞いとらんに」

「いつも 一日からいくじゃない」

「そんなの 私 自由かと思ってた」

(それはないでしょ)


「なんだか鼻水がとまらんの 風邪かしら?」

「あら 大丈夫? 寒い?」

「すまんけど マスクない?うがい薬ない?」

「マスクはないから買ってくるけど、うがい薬はそれじゃだめ?」

「私な シュッシュッってするのがいいの」

「わかった 買ってくるね」

(なんか 鼻水でてないみたいだけどなー)


翌日

ヘルパーさん「鼻水が 出とるの?」

「いいえ 出とらんに」

(はあっ、、、?」

2011年10月1日土曜日

オンナのたたかい(さんま編)

「お母さん はい、どうぞ」

「私なら いらんに。よかったら 食べて」

「わたし お魚の臭い 苦手だって言ったじゃない」

「そうなの?どうして?」

「だからー、いつも言ってるじゃない」

「じゃ とっておいて」

「二十日も留守にするのに とっておけないよ」

「冷蔵庫に入れとけばいいに」

「むり!!」

バスの窓から

駒ヶ根の バス停の ベンチに

ススキの穂が 一本

誰がおいたのか 想像してみる


八ヶ岳に コスモス


雲を 突き抜ける 逆光の 甲斐駒ケ岳 


なかなか出口のこない 笹子トンネル


府中競馬場 深大寺


そして 新宿

ひこうき雲

すうっと のびた ひこうき雲が 

風で ながれて

ちぎれて いった

青い 空に 

とろけて いった

信州

ヒュルルー と 気持ちのいい 風がふいて

飯田は 秋だった。

空は高く 山は青く 流れは清い。

駅のホームには ヒラヒラと

枯れ葉か、、と 思ったら

蝶々だった。

蝶々か、、と 思ったら

こんどは 枯れ葉 だった。


母は 今頃 ゆいに 着いただろうか、

ちょっと 厚着を させちゃったかしら?


時又駅 にて

2011年9月23日金曜日

オペラ座の怪人

オペラ座の怪人

私の中に すんでいる

本当に醜いのは その顔ではなく

魂なのだから、、、

2011年9月19日月曜日

め・だ・ま

終バスで帰って来る夫の帰りを、うつらうつらしながら待っていると

夢をみた。

「めだまだけ 飛び出て 高いところで見張っていれば 帰って来るのが 早くわかるのに」

少女の私がつぶやいている。


「いいよなあ、そういうの!」

「ゲゲゲの鬼太郎の世界だよね」

夫も娘も 呆れ顔。

自分でも 呆れた。


私は 赤いプリーツのスカートをはいている。

足には 下駄を履いているのか、靴なのか

そこまでは みえなかった。

2011年9月15日木曜日

記念日

9月13日は 31回目の結婚記念日だった。

昨年30年目の時は、娘達が旅行をプレゼントしてくれて湯河原に行って来た。

今年は皆忙しいし、、、と思って、私は勝手に自分の好物であるちらし寿司を作ることにした。

そうして今年は、ちらし寿司と、次女がお吸い物をつくり、長女がケーキと薔薇の花束をくれて、

家族5人でお祝いをした。

それから 第二段は カラオケへ、、、。

皆 嫌いではない。

思い思いに好きな歌を歌っては 笑った。そしてまた歌った。

末っ子の王彦が コブクロの「桜」を熱唱した時には感激して涙があふれた。

31回目は 思い出深い 家族記念日となった。

ずうっと 忘れないでいよう。


パパ 今までどうもありがとう。これからも どうぞよろしく。

2011年9月12日月曜日

病院にて

本日の予約患者数2003名

T市の大学病院には 毎日のようにこれだけの人々が訪れる、県北、県西、あるいは他県から。

エレベーターホールには様々な人がいる。ストレッチャーに乗せられた人、車椅子の人、点滴を

下げた人。小さい赤ちゃんを胸に抱いた若いおかあさん、、、ちょっと不安そう。  

私も 3Fの外来に向かった。

長い廊下には診察を待つ人達が、並んでいる。たいてい何人かは知った顔だ。

目と目でそっと挨拶をする、 調子どう?  なかなかねー。

同じ病気に悩んできたものどうし、暗黙の了解がある。

聞かなくたってわかる、みんな 優しくって、ちょっと淋しげに微笑んでいる。

でも 今日は思いがけず声をかけられた。

「元気そうじゃない!」  「うん、だいぶ良くなった」

「よかったね、、、、じゃあね、、、」   「ありがとう、、、おだいじにね。」

私は 返した。

2011年9月10日土曜日

記憶

みずうみの 底深く 絡みついた 枯れ枝のように

記憶は 眠っている。  

風が吹いても 嵐が来ても 朝の光がさしても

記憶は 眠ったままだ。


ふと

プクリ。泡のように それはあらわれる。


準備室で いつも絵を描いていた先生の背中、煙草の匂い。

初めて 好きな男の子と 手をつないだ日。

白樺湖の 小さな教会での 結婚式。

毎晩のように 友達が押しかけてきて、遅くまで飲んで騒いだ新婚時代。 

難産のすえに授かった、ちいさな いのち。

母親になった日の うれしさと とまどい。


そうして また

記憶は 眠りに ついた。

みずうみの 底深く また いつか めざめるときまで。

2011年9月8日木曜日

明日

明日 イコール 希望 ならば、希望をもつことができなかった。

明日 イコール 夢 ならば、かなうはずは無いと思った。

明日 イコール 戦い ならば、とても立ち上がることができなかった。

昨日は かさねるうちに消えてゆき、今日さえもあやふやだった。

明日がくるのが 恐ろしかった。

眠れぬまま 自分を 呪った。

明日がくるまえに 消えてしまいたかった。


いま、やっと

昨日をかさねて 今日になり、

今日をかさねて 明日を待つ。

それが 幸福なことだと しみじみと 思う。

2011年9月6日火曜日

描く

アトリエを覗くと、息子が絵を 描いていた。

彼は 好きなときに 好きなように 描く。 

花 動物 魚 太陽 空 虹 などなど、、、

太い筆にたっぷりと墨をふくませ 穂先で すらーっと輪郭をかくと、絵の具で色をおいていく。

ペリカンの絵の具は 発色がいい。たちまち数枚の絵が 足元にならんだ。

絵の具の たまり にじみ ぼかし かすれ 、、、、、

誰に教わったのでもなく それらをいかしながら 絵を生み出してゆく。

彼は 一通りそれらを見渡すとさっさと片付けてしまうので、一体どれほど描きためているのか

知れない。

今日は はがき大の画仙紙に 直接絵の具で描いていた。

上半分に 鮮やかなオレンジ色のまるが描いてある

そしてまた たっぷりとオレンジ色をふくんだ筆で 下半分にまるを描いた。

つーっと 絵の具が二本の線になって下に流れた

すると彼は すすっと線を二本かきたした。

「それは なあに?」 「たいよう と ひのまる!!」、、、なるほど、、、


ひらめき 感動 そして彼は何よりも「描く」ことを 楽しんでいる。

私は 暫くのあいだ 絵についての思いをめぐらせた、

彼は なおも 描き続けている。

2011年9月5日月曜日

虫の声

つくつくぼうしがないている、、、昼下がり

ツクツクボーシ ツクツクボーシ ジジジー

ホーシン ツクツク  ホーシン ツクツク

そうも 聞こえるらしい

庭のどこかで さいごの声をひきしぼり 小さないのちを終えるのだろう

夏の 終わり


あれ まつむしがなきだした

チンチロ チンチロリン

秋は 夜が にぎやかになる

2011年9月4日日曜日

真珠の耳飾りの少女

フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」を写真家の篠山紀信さんが、実際にモデルの少女をつ

かって迫る!番組を見た。

モデルの少女は、フェルメールと同じオランダ人を祖父にもつという。昔のオランダの衣装をまとい、

ターバンを巻いたらすっかり絵の少女のようになってきた。さて、そこからが問題、画家フェルメール

のアトリエは二階、やわらかい自然光の入る北向きの窓だったそうだ。

紀信さんが再現を試みるうち、画家の隠されたテクニックがいくつも見えてきて驚かされた。


少女が、ふと振り向いた一瞬。

ほの暗いバックにうかび上がる、まっすぐに観る者をとらえるまなざし、うるんだ唇、

そして真珠の耳飾り。 

青いターバンとのコントラストの素晴らしさ!

一瞬のその表情のなかに、永遠の時を封じ込めていた。


さいごに少女がターバンを振りほどいたとき、

篠山紀信作の「真珠の耳飾りの少女」が写し出された。 

とても美しかった!!










2011年9月2日金曜日

風の又三郎

毎年この季節になると思い出すことばがある。


どっどど どどうど どどうど どどう

ああまいりんごも吹きとばせ

すっぱいりんごも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう


宮沢賢治の、有名な「風の又三郎」の冒頭の文章だ。

又三郎は九月一日に、谷川の岸の小さな小学校に風のようにあらわれ、また風のように去っていく

のだ。その本は十二歳だった私をたちまち魅了した。

大人になっても、引越しをしても、その一冊は忘れなかった。

いま手元にあるのは1967年発行の、あかね書房版だ。




2011年9月1日木曜日

オルゴール

リビングをリフォームしよう。

と、夫の一声にさあ大変だ!

この数年病気がちだった私には、掃除、片付けの習慣がない。

とにかく引き出しの整理から、、、。いらないものは思い切って捨てよう。

あちこち整理して、なんとか自分の机の引き出しにたどりついた。

「ポロン」、という音に手を伸ばしたら、古びた小さなオルゴールだった。

ギリギリとねじをまくとかぼそいメロデイがながれる。

これは確か、、、ショパンには違いないが、、、思い出せない。

擦れた文字をかざしてみる。

「ノクターン」じゃない!おお、恥ずかしっ!

むかしむかし、夫が買ってくれたものだった。

私にとってのイケメン、ちょっと古いけど。


ボズ・スキャッグスのCDのとなりに、そっとしまった。


思い出は、なかなか片付かない。

























2011年8月31日水曜日

田舎みち

車の往来の激しい道路をさけて川の土手を歩いてみた。

いったい何年ぶりだろう?

二本の轍がずっと続いている。

夏草のにおいに思わず息をおおきく吸って、

ふと、空を見上げた。



夕方の空はオレンジ色に暮れかけて、

箒で掃いたような筋雲がはしっていた。

紫峰筑波山が正面にみえる。


秋って、空からくるのかな?


靴の裏の土の感覚を確かめようようと思って、

違和感を感じた。

思った感じとちがう、砕石なのだ。

少し歩くと足の裏が痛くなった。


田舎みちもかわった。