2011年9月23日金曜日

オペラ座の怪人

オペラ座の怪人

私の中に すんでいる

本当に醜いのは その顔ではなく

魂なのだから、、、

2011年9月19日月曜日

め・だ・ま

終バスで帰って来る夫の帰りを、うつらうつらしながら待っていると

夢をみた。

「めだまだけ 飛び出て 高いところで見張っていれば 帰って来るのが 早くわかるのに」

少女の私がつぶやいている。


「いいよなあ、そういうの!」

「ゲゲゲの鬼太郎の世界だよね」

夫も娘も 呆れ顔。

自分でも 呆れた。


私は 赤いプリーツのスカートをはいている。

足には 下駄を履いているのか、靴なのか

そこまでは みえなかった。

2011年9月15日木曜日

記念日

9月13日は 31回目の結婚記念日だった。

昨年30年目の時は、娘達が旅行をプレゼントしてくれて湯河原に行って来た。

今年は皆忙しいし、、、と思って、私は勝手に自分の好物であるちらし寿司を作ることにした。

そうして今年は、ちらし寿司と、次女がお吸い物をつくり、長女がケーキと薔薇の花束をくれて、

家族5人でお祝いをした。

それから 第二段は カラオケへ、、、。

皆 嫌いではない。

思い思いに好きな歌を歌っては 笑った。そしてまた歌った。

末っ子の王彦が コブクロの「桜」を熱唱した時には感激して涙があふれた。

31回目は 思い出深い 家族記念日となった。

ずうっと 忘れないでいよう。


パパ 今までどうもありがとう。これからも どうぞよろしく。

2011年9月12日月曜日

病院にて

本日の予約患者数2003名

T市の大学病院には 毎日のようにこれだけの人々が訪れる、県北、県西、あるいは他県から。

エレベーターホールには様々な人がいる。ストレッチャーに乗せられた人、車椅子の人、点滴を

下げた人。小さい赤ちゃんを胸に抱いた若いおかあさん、、、ちょっと不安そう。  

私も 3Fの外来に向かった。

長い廊下には診察を待つ人達が、並んでいる。たいてい何人かは知った顔だ。

目と目でそっと挨拶をする、 調子どう?  なかなかねー。

同じ病気に悩んできたものどうし、暗黙の了解がある。

聞かなくたってわかる、みんな 優しくって、ちょっと淋しげに微笑んでいる。

でも 今日は思いがけず声をかけられた。

「元気そうじゃない!」  「うん、だいぶ良くなった」

「よかったね、、、、じゃあね、、、」   「ありがとう、、、おだいじにね。」

私は 返した。

2011年9月10日土曜日

記憶

みずうみの 底深く 絡みついた 枯れ枝のように

記憶は 眠っている。  

風が吹いても 嵐が来ても 朝の光がさしても

記憶は 眠ったままだ。


ふと

プクリ。泡のように それはあらわれる。


準備室で いつも絵を描いていた先生の背中、煙草の匂い。

初めて 好きな男の子と 手をつないだ日。

白樺湖の 小さな教会での 結婚式。

毎晩のように 友達が押しかけてきて、遅くまで飲んで騒いだ新婚時代。 

難産のすえに授かった、ちいさな いのち。

母親になった日の うれしさと とまどい。


そうして また

記憶は 眠りに ついた。

みずうみの 底深く また いつか めざめるときまで。

2011年9月8日木曜日

明日

明日 イコール 希望 ならば、希望をもつことができなかった。

明日 イコール 夢 ならば、かなうはずは無いと思った。

明日 イコール 戦い ならば、とても立ち上がることができなかった。

昨日は かさねるうちに消えてゆき、今日さえもあやふやだった。

明日がくるのが 恐ろしかった。

眠れぬまま 自分を 呪った。

明日がくるまえに 消えてしまいたかった。


いま、やっと

昨日をかさねて 今日になり、

今日をかさねて 明日を待つ。

それが 幸福なことだと しみじみと 思う。

2011年9月6日火曜日

描く

アトリエを覗くと、息子が絵を 描いていた。

彼は 好きなときに 好きなように 描く。 

花 動物 魚 太陽 空 虹 などなど、、、

太い筆にたっぷりと墨をふくませ 穂先で すらーっと輪郭をかくと、絵の具で色をおいていく。

ペリカンの絵の具は 発色がいい。たちまち数枚の絵が 足元にならんだ。

絵の具の たまり にじみ ぼかし かすれ 、、、、、

誰に教わったのでもなく それらをいかしながら 絵を生み出してゆく。

彼は 一通りそれらを見渡すとさっさと片付けてしまうので、一体どれほど描きためているのか

知れない。

今日は はがき大の画仙紙に 直接絵の具で描いていた。

上半分に 鮮やかなオレンジ色のまるが描いてある

そしてまた たっぷりとオレンジ色をふくんだ筆で 下半分にまるを描いた。

つーっと 絵の具が二本の線になって下に流れた

すると彼は すすっと線を二本かきたした。

「それは なあに?」 「たいよう と ひのまる!!」、、、なるほど、、、


ひらめき 感動 そして彼は何よりも「描く」ことを 楽しんでいる。

私は 暫くのあいだ 絵についての思いをめぐらせた、

彼は なおも 描き続けている。

2011年9月5日月曜日

虫の声

つくつくぼうしがないている、、、昼下がり

ツクツクボーシ ツクツクボーシ ジジジー

ホーシン ツクツク  ホーシン ツクツク

そうも 聞こえるらしい

庭のどこかで さいごの声をひきしぼり 小さないのちを終えるのだろう

夏の 終わり


あれ まつむしがなきだした

チンチロ チンチロリン

秋は 夜が にぎやかになる

2011年9月4日日曜日

真珠の耳飾りの少女

フェルメールの絵画「真珠の耳飾りの少女」を写真家の篠山紀信さんが、実際にモデルの少女をつ

かって迫る!番組を見た。

モデルの少女は、フェルメールと同じオランダ人を祖父にもつという。昔のオランダの衣装をまとい、

ターバンを巻いたらすっかり絵の少女のようになってきた。さて、そこからが問題、画家フェルメール

のアトリエは二階、やわらかい自然光の入る北向きの窓だったそうだ。

紀信さんが再現を試みるうち、画家の隠されたテクニックがいくつも見えてきて驚かされた。


少女が、ふと振り向いた一瞬。

ほの暗いバックにうかび上がる、まっすぐに観る者をとらえるまなざし、うるんだ唇、

そして真珠の耳飾り。 

青いターバンとのコントラストの素晴らしさ!

一瞬のその表情のなかに、永遠の時を封じ込めていた。


さいごに少女がターバンを振りほどいたとき、

篠山紀信作の「真珠の耳飾りの少女」が写し出された。 

とても美しかった!!










2011年9月2日金曜日

風の又三郎

毎年この季節になると思い出すことばがある。


どっどど どどうど どどうど どどう

ああまいりんごも吹きとばせ

すっぱいりんごも吹きとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう


宮沢賢治の、有名な「風の又三郎」の冒頭の文章だ。

又三郎は九月一日に、谷川の岸の小さな小学校に風のようにあらわれ、また風のように去っていく

のだ。その本は十二歳だった私をたちまち魅了した。

大人になっても、引越しをしても、その一冊は忘れなかった。

いま手元にあるのは1967年発行の、あかね書房版だ。




2011年9月1日木曜日

オルゴール

リビングをリフォームしよう。

と、夫の一声にさあ大変だ!

この数年病気がちだった私には、掃除、片付けの習慣がない。

とにかく引き出しの整理から、、、。いらないものは思い切って捨てよう。

あちこち整理して、なんとか自分の机の引き出しにたどりついた。

「ポロン」、という音に手を伸ばしたら、古びた小さなオルゴールだった。

ギリギリとねじをまくとかぼそいメロデイがながれる。

これは確か、、、ショパンには違いないが、、、思い出せない。

擦れた文字をかざしてみる。

「ノクターン」じゃない!おお、恥ずかしっ!

むかしむかし、夫が買ってくれたものだった。

私にとってのイケメン、ちょっと古いけど。


ボズ・スキャッグスのCDのとなりに、そっとしまった。


思い出は、なかなか片付かない。