2011年10月30日日曜日

手術室にて

車椅子を押されて 4Fの自動ドアを何度か通り過ぎると 特殊な消毒臭が鼻をつく

もう 慣らされてしまった臭い。

1から12と大きく記されたステンレスのドア、その前にはその日手術を受ける人を乗せた

ストレッチャーが列をつくっている。

1の手術室に入ると、踏み台から手術台に乗るように指示を受ける。

手術台は わりとせまくて高さがある、手を借りながらゆっくりと 無影燈の下に体を預ける。

病衣がつっぱらないよう少し上にたぐり寄せ ドーナツ状の枕の中心に頭をのせる

でないと 後になって首や肩が痛くなるのだ、

そんなことまで 覚えてしまった。

落ちないように 足をベルトで固定されると、 

右側に青衣の麻酔科のドクター、左側に神経科のドクターが立つ。

麻酔科のドクターが 私の右手の甲に点滴の針をうつと、

酸素マスクが鼻にあてられる。

「では はじめます」

の声に 右手の点滴のチューブから冷たい全身麻酔の液体が 入っていくのがわかる。

5秒ほどで 目の前が真っ白になり 周りの人や物音一切が遠くなり、

意識が なくなる。


怖さは なかった。

それどころか 当時の私はその瞬間を待ち望んださえいた、

その時だけが 安らぎを覚える時だった。



100回をこえたこの治療は もう必要ないほど 私は回復した。

病気で苦しんで来た間に 失ってきたものばかり数えてしまうが、

夫と子供たちは ずっと私に寄り添いささえ続けてくれたのだろう

私が 自暴自棄になってばかなことをしても 決して責めたりはしなかった。


此の頃になって 愚かにもやっとそんなことを考えられるようになった私だが、

どう気持ちを表したらいいか 困ってしまう。

病気のせいか、治療のせいか 以前の記憶のほとんどをなくしてしまった。

心の奥底に 澱のように沈んでいる記憶が 少しずつ戻ってくるのを

もうすこし 待っていて ください。


パパ、春菜、青子、王彦、  ありがとう

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